貸し借り
なんでかわからないけど
こっちの人たちすんごい勢いでお金かしてって言って来る。日本人だからお金もってるって思われてるのかもしれないけど。
お金借りてるのに、普通にご飯贅沢してたりする。なおさら意味がわからない。
本当にお金がないって言うから貸してあげてるし、電気止まっちゃったって言うから貸してあげてる(日本円にしたら千円以下)
まだお母さんがお金入れてくれないの
誕生日近いから誕生日までは入れてくれないの
だからちょっと待ってて、本当ごめんね
とかめっちゃ言ってたのに、いざ誕生日を迎えお金が入ったら、わたしを避けて生活してる
いつもコンコンってくるし、ご飯食べようとか、テレビ見ようとか言ってくるのに
話が違うじゃーん。
こんな時日本だったらなんて言ってお金返してって伝えるかな?もう忘れちゃったよね
申し訳なくなるっていう気持ちはこっちの人たちにはないのかもしれない
普通に一緒にご飯買ったりするから
あとわたし40ribu(4百円くらい)返したらいいんだよね〜
とりあえず20ribu先に返すわ〜
あぁマック(マックはこっちの人にとって割と高め)のアイス食べたいな〜
一緒に食べようよ〜
.......いや、そのアイス我慢すればわたしにお金返せるよ?って思う(笑)
同じ家に住んでると(アパートのキッチンのみ共同って感じかな?)家族っていう感覚があるらしいこっちの人にとって
だからなんでも貸したり借りたり使ったり、、、、半年以上経ってやっとちょっと理解できるようになったかな
でも自分のものが使われてるとすーんごい怒るんだけどね
あぁ〜変な国だな〜(笑)
ご飯を食べる事に対して、我慢というものは全くないんだなって感じる
たしかに!生きるためには食べることは大切ですもんね!!!!!!!!
日々の疑問を言葉にしてみました。
早くお金が帰ってくることを願って。
逆算していくこと
中学生の頃から何となーく憧れ始め
高校生でこういういうことやりたいって決めて
大学入って色んなこと知って、専門的に勉強しないと難しいって気づいて諦めて
でも就活のことを考えてると必ずチラつく
ずっと憧れとしてわたしの心の何処かにいる協力隊。決して最終職ではない。開発コンサルタントなどにつく人たちの通過点みたいなもの。
だけどわたしにとっては
いつかなりたい憧れの存在......
今の自分には知識や技術が足りなすぎて行くべき場所ではないように思える (逃げてるだけかもしれないけど)
だから29歳になるまでに成し遂げられたらベスト
でもシニア世代として行くのもありだと思ってる
協力隊についたらどの面の活動をしたいのか
そのために身につけなきゃいけない知識は何なのか、技術は何なのか
その技術はどの仕事で得ることができるのか
それとも学校で勉強する必要があるものなのか
資格を取る必要があるものなのか
ゴールを決めて逆算して行く
この間友達が先生に言われたよ!って教えてくれた言葉
その時は逆算か〜ってくらいにしか思わなかったけど、こうやってちゃんと考えてみるとすごく道が見えてくる
わたしの場合、憧れを達成するためだけのもの。その後に繋げたいとかそういうのではない。でも自分の人生、自分の憧れたものとかなりたいものとか、やりたいこととか、何にもとらわれないでやるのもいいんじゃないかなと思う。
その時自分だけの人生じゃなくなってたら(子供がいるとか)またその時考えればいいと思う
自分の憧れよりもその人や子と過ごしたいと思って違う道を選ぶかもしれないそれはそれでいいと思う。憧れが変わったってことだと思うから。
自分で道を決められるありがたい環境に居られたら限り、ちゃんと大きい目標持って逆算して叶えられるように行動したい。
インドネシアに来たからインドネシアと関わる仕事に就きたいというか、じゃないとインドネシアに留学した意味を答えられない気がするからインドネシアと関わる仕事に就きたい...笑
だから逆算してみて将来の大きな夢と、インドネシア語が繋がったら最高だな〜ってよく考えてる。
でもちゃんと逆算してれば、自分のビジョンが話せればインドネシアがどうのこうなって別にどうでもよくなってくる気はする。長所としてはうまーく利用していきたいけど!
とにかく考えて順序を立ててみる
まだ二ヶ月あるからその間に見つける
見つけられればあとは就活頑張るのみ
それが一番大変なのかもしれないけど
何を言いたいのかよくわからない
でもとにかく自分の人生は自分で作っていかなくちゃ!!!!!!
せっかく生まれてこれたんだから
死ぬまでやりたいことやって生きていきたいな
最短ルートじゃなくてもいいと思う
遠回りになったっていいと思う
どんな経験も必ず自分を育てる材料になるから
着地する場所が決まってれば
いつかはその場所にたどり着けるはずだから
時々失敗する時はあるだろうけど
無理だったら無理で無理だったんだなって(?)
そう思えたらいいんじゃないかな
その時は絶対悔しいと思う
でもそれまでちゃんとやってれば自分の限界だったんだなっていつか納得できると思う。
あああああ、課題終わらせなきゃ!!
〇〇人について
こっちに来てから何度も聞かれる
日本人はこうなんでしょ?
日本人はこうするの?
(お辞儀をする、好きと言わない、直接的に物事を言わない、シャイ、まじめなど)
まぁこんな感じで授業とか普段の生活で聞かれる。
わたしの答えはいつも
『はい、たぶん、、、』
でこのあとみんな笑う...
だって、日本人と言っても、ほんとにいろんな人がいるから
人間みんなそれぞれ個性がある
全くおんなじ人なんてましてやいない
いるならあってみたい
だって自分を客観的にみれるからね
普通に聞かれる分には、わからないなりにちゃんと答える(れない時もあるけど)
必ず『たぶん、、』をつけちゃうけど
でもわたしの行動に対して何か疑問を持った時に言ってくる人がいると、それは違くない?と思ってしまう。
もしインドネシア人が日本で強盗を起こしたら、インドネシア人はみんなが強盗する人なの?って事になる。それは違うじゃん。
その人なりに日本人(わたし)を理解しようとして言ってくれてるのかもしれない
でもとにかくわたしには引っかかる
すんごくひねくれてるのは自分でも感じる。
けど引っかかる
わたしは日本人だけど、わたしはわたしだよ
って思いが強くなっちゃうし、
『自分=日本人の基本』になってしまう怖さも感じるからだと思う。
わたしの住んでるスラバヤは割と都会だから日本人やら韓国人やら欧米人、と外国から来てる人が結構いる。
そういうところでさえもこうやって感じられてる、捉えられてるってことは、滅多に外国人がこないような所に行ったら、わたしが日本人はこういう人だっていうものになってしまう。
こわいこわいこわい
とにかくこわい
そして少し切ない
だからといって装いたくもない
自分は自分でいたい
わがままでいたいわけじゃない
性格を変えたくないわけでもない
みんなが思い描く日本人を演じるのはいやだってだけ
いつかわたしをひとりの人として見てくれるときが来てほしい
そのためには何をしたらいいのだろう
って思うけど、自分らしく居ながら人とちゃんと関わりを持ってこの土地で生きていくことなんじゃないかなと思う
そして私が日本に帰ったら
何人だからとかそういうんじゃなくて
一人の人として沢山の人と関わっていきたいな
やっぱ留学は面白いな
こんなこと日本にいる時には考えたことなかったもん!!
取り留めのない、どうでもいい想いでした。
日本語の授業風景を添えて。
手紙/コブクロ
わたしには大好きな歌手がいる.....
それが題名にあるコブクロ
出会いはだいぶ昔だけど、わたしの心を支えてくれるようになったのは(?)高校卒業から大学に入学したころ。
そして初めてライブにいって見事に圧倒されたというかこの世に存在するのかよ!ってなった
今でもそのライブの一番最初の曲のイントロを聴くと鳥肌が立つ
こうやっていまインドネシアに留学に来れてるのもコブクロの唄があったからっていうのも一つの事実。必ずその時の自分に寄り添ってくれる曲があって、気づかないうちにその曲を口ずさんでたりする。ほんとにコブクロってすごいと思う。
必ず背中を押してくれたり励ましてくれたりするわけじゃない。
時にはぐさっと刺さるような曲の時もある
自分自身が頑張りきれてないとき、自分に負けてるとき、そういう時には気づかせてくれる。
なぜ今こうやってここにいるのか
なんでこれを勉強してるのか
今は何を優先すべきなのか
題名にある手紙は
小渕さんが協力隊で海外に行く友達に宛てた手紙。協力隊で来てるわけじゃないけどくる前からすごく励みになっていた曲。
『泣いてしまうほど辛いのは一番頑張った日の証そんな自分を時々は、休めてあげなきゃ駄目だよ』
ここもこぶちさんの優しさを感じられるところ。くる前はここで絶対うるっとしてた
こっちに来てからは、頑張れてないからうわああ頑張らなきゃって思える場所。
頑張ってなくてもホームシックで何度も泣いてるけどね...笑
何より最後の
『どんな季節も 意味の無い風は吹かないはずだから、強く儚く咲く花のように、今を受け止めて弱い自分に負けないで。』
がとにかく好き。
時には休んでって優しさがあるけど
最後にこうして背中を押してくれる
この強さが本当の優しさだと思う
何かに挑戦するとか新しい場所に行くって簡単なものじゃないから無理しないでねとか言いたくなるけど、そんな言葉じゃない
普段やらないことをやれるチャンスがあって、時間が限られてるからこそ
自分に負けてなんていられない
自分が想像してること、やりたいことと全く違う世界が広がってることだってあると思う(今実際にそう感じてる)
でもそんな時こそ新しい発見をして
新たな一歩を踏み出していかないといけない
......小渕さんありがとう
あと3ヶ月でできることをやってかないと
泣いてばっかいられない
日本が恋しいとか行ってる場合じゃない
これが終わったら嫌でも日本に居られるんだから
とにかくなぜ来たのか
何をやり遂げて帰りたいのか
やり残したことはないか
ちゃんと考えて行動する
もう3ヶ月しかないんだから.......
成長が感じられる嬉しさ
できないできない
まだ上手に喋れない
って毎日否定し続けてた日々
バリ島に日本人の友達と旅行して
初めて自分の成長を感じられたし、自分自身で認められた気がする。
今までのバリ島ではあんなに困っていた買い物もすんなり値段交渉したり、たずねたり、お願いしたりできた。
バリにいた時間は留学生ってことより
観光客としていたから
『インドネシア語上手だね』って言われて
素直に喜んでる自分もいた
いる場所が変われば
基準も変わるし、価値も変わって来る
その変化が自分自身に勇気をくれたし、成長を感じさせてくれた。今の自分には凄く大切なことだったように感じる。
友達にもできないできない言ってちゃダメって言われてでもできないって思ったけど
自信持ったり、成長を認めることでポジティブに捉えられてプラスの方に変わって行くのかもしれない。
今日また授業に戻って自分のできなさを痛感したけど、伸び代だと思おう。
あと3ヶ月でまだまだ成長できるってこと
とりあえず観光地バリでは過ごせるくらいにはなってるみたい。友達の英語力に頼りっぱなしだったのは確かだけど(笑)
とにかくポジティブ。
日本に帰ったらもっともっと辛い現実が待ってるんだから、物事をポジティブに捉えられるようにしておかないとな。
就職活動解禁に焦る2018年卒業の留学生より。
書いて残しておくこと。
インドネシアに入ってから
何もない日でも毎日日記を書いていたんだけれど、
旅行に行くと友達と一緒にいるから
って言い訳して書いてなかったこの1月。
まだ覚えてることも沢山あるけど
色んなところでいろんな事したから忘れてることもたくさんあると思う
今回日本人の院生の方と一緒に旅行させてもらってたくさんお話しさせてもらって
いままでしてた事はいい事してたんだなってことに気づかせてもらえた。に加えて、この1ヶ月色んな体験できてたのに何にも記せていない事がすごく勿体無いことだって事にも気付かされた。
どんなに小さな発見だったとしても、その地域に入って知った事だったり感じた事はのちに卒論なりに生きてくるかもしれない、ヒントになるかもしれないって事が分かったから。
日本の教授も、とにかく情報を集めてこい、いっぱい喋ってメモしてこいっていうのはほんとにそうなんだなって思った。
とりあえず明日までのレポートをさっさと終わらせて、覚えてるうちに思った事、知れたこと、感じたこと、そして思い出を記していこうと思う。
自分のために。
これからの自分のために。
無駄なことは一つもないのかも知れない。
一つ一つの事を大切にしておけば。
今回の出会いは本当にタイミング的にも良かった。感謝でいっぱい。
ありがとうございました。
今度は日本で会いましょう!
無い物ねだり。
日本にいる時は日本人が嫌だって言ってた
はやくインドネシアに行きたいって言ってた
今はインドネシア人が嫌だって言ってる
早く日本に帰りたいとは言わないけど日本を求めてる
当たり前だけど
どの国にも良いところと悪いところはある
人にだって良いところと悪いところはある
それを嫌々いって逃げて、そこに無い物を追いかけて、、、
同じ状況にある人に対してもそう。
あの子にはこれがある、あれがある、、、
良きライバルになれるはずなのに
異国にいれば支え合える存在になれるはずなのに
自分に無いものばかり探しては、落ち込んでる
無いものはないんだから
その物がない代わりに、わたしには他の何かかけがえのないその人はもってない何かがあるはずなのに
みんな環境が違うから、もってるものできることが違うのは当たり前。
そう考えると、人と比べる場合じゃなくて自分自身に勝たなきゃいけないのかもしれないと思える。
今は頑張りきれてないから周りばっかり気になっちゃうんだろうな。スイッチ入れなきゃ!
あと半年だけだもんね!!!!